Californian wind カリフォルニア便り
2022-01-30T06:56:26+09:00
naoko_nikki
カリフォルニアつれづれ日記
Excite Blog
反応性愛着障害の応用編
http://naoko624.exblog.jp/32561716/
2022-01-30T06:56:00+09:00
2022-01-30T06:56:26+09:00
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naoko_nikki
里親日記
y-12689482279.html)今度は13歳の少年Dがやって来た。今回も反応性愛着障害を持っていて、前回の応用編だろうと思っていた。
アジア食に馴染みがない少年Dだが、餃子とお味噌汁が大好物になってくれた。最初の数ヶ月は寝る前に毎晩お話タイムをねだってくる幼い部分もあった。無理もない、6歳の時から里子になり、幼少時に得られなかった経験をしたかったのだろう。
予想していたように、1ヶ月のハネムーン期間が終わると反抗期が訪れた。今回は応用編なので、予想内であることは多かったが、状況は悪化をたどるばかり。そしてとうとう少年Dの問題行動から、放課後のプログラムから1週間の参加禁止を出されてしまった。
この状況が来るのは予測されていた。それで少年Dが来た当初から、ソーシャルワーカーにその危険性と可能性を訴え続けてきたが、残念ながら取り上げてはもらえなかった。少年Gの二重人格が反応性愛着障害を第三者から見えにくくしてしまっていることと必要最低限しか関わりたくないソーシャルワーカーに当たってしまったからだ。一番の問題は問題行動そのものよりも、問題を起こしたことに対して何の反省も悔恨もないこと。い典型的な反応性愛着障害の症状だ。
このために放課後のプログラムの方でも、少年Dを再度受け入れることにためらいをもっている。
少年Dの障害は、ドラッグ中毒のある親から生まれたことに根ざしている。一番大切な最初の一年に愛情をもらえなかったことから、幼いGの脳細胞は残念ながら共感という感覚を発達させられなかったどころか、、その脳細胞が死んでしまったのだ。
身体的障害であれば外から見てある程度は理解出来る。けれど、こうした内面的障害は外から見えない上に、理解をしてもらうことが難解だ。
18歳になり里子制度から出されるまで、後5年。最初の一年で受けたダメージは残念ながら5年どころか、一生かかっても治るものではないが、徹底した治療で健全な社会生活を送れる可能性は高くなる。これからの5年が彼の一生を大きく左右すると言えるだろう。
そのために、今日もまたソーシャルワーカーに直訴のメールを書いている。どんな縁があって我が家に来たか分からないが、同じお味噌汁を楽しむ仲だ感情が入らずにいられないのが普通の感覚だ。この感覚を少年Dにも味わってもらいたいと思う。]]>
誰かを愛する時
http://naoko624.exblog.jp/32383558/
2021-08-03T00:04:00+09:00
2021-08-03T00:04:12+09:00
2021-08-03T00:04:12+09:00
naoko_nikki
里親日記
誰かを本気で愛したいと思ったら、大切に思ったら、気持ちにブレーキをかけるられるだろうか?不器用な私はブレーキを踏むことを忘れて、突進していた。
16歳の少年Gが来て1か月。(https://ameblo.jp/poquita/entry-12674374260.html)
初め、反応性愛着障害という不可解な状態が心に重くのしかかった。見えない相手と相撲を取るな形になっていることに、直ぐ気づいた。
「こんなの自分じゃない。愛情を知って欲しい相手に、気持ちを100%注げなかったら愛情なんてわかってもらえるわけがない」
そこで、彼が言うことにはどんなことにも先ず賛同することにした。どれほど現実味がなかったり、おかしな話でも、だ。その後から、
「どうやってそれを実現させるの?」「へぇ、もっと教えて」
と興味を示す。すると少年Gは携帯を駆使して色々な情報を引っ張り出してくる。そして現実味がないもの、突拍子もない話だと、自ら壁にぶつかる。それでいいのだ、自分で工夫してみて、自分で壁にぶつかればそれが学びと経験になるのだから。
時間も根気もいる作業だったが、二人で小さな話を大きく展開していく楽しみを感じた。その一つが彼の大好きなクッキング。
すっかり私の手法に慣れた彼は、私に相談する前から自分でレシピを調べ、冷蔵庫の中を確認して、クッキングに乗り出す。
いつしか、少年Gと一緒にキッチンに入って新たなレシピにチャレンジすることが楽しみにさえなった。シェフは少年G、私は彼の助手。その関係が私達心の距離を縮め、多くの笑いと発見を生み出した。
密かにつけた彼のニックネームは「猫」。お喋りしたい気分になったらフラリと出て来て、私のそばに座り込む。座り込むと30分から1時間、長ければ2時間でもお喋りしてくれる。好きにさせていたら、向こうから気ままに寄って来るのが猫みたい。だから、自由に行き来出来るようにハグしたり、強制したりはしない。
気づいた時にはいつもと同じく、親バカになっていた。反応性愛着障害に傷つけられるかもしれない、泣かされもするだろう。だけど100%精一杯生きたいと思った、彼のためではなく、自分のために。一度の人生、風を切って爽快に走り続けることにした。
順風に乗って楽しんでいたが、突然の逆風、それも突風に襲われた。反応性愛着障害ならではの心の葛藤が爆発したような状況だった。少年Gは陽性の感情を持つことが出来ず、陰性の感情に振り回されているようだった。手を伸ばせば届く、目を開ければ見える愛に気づけないGを思い悲嘆に暮れた。
そして突然の逆風が、予期せぬ風向きとなった。奇跡としか言いようのない変化が訪れた。少年Gが心を和ませたのだ。そして自分のことを多少なりとも客観的に見ることが出来たのだ。そして新たな人生を受け入れた、もう一度施設でやり直そうと。
施設への出発前夜、「猫」は笑顔で他愛ない話を延々とした。まるで話を終えなければ、出発が来ないかのように。
そして「猫」に最初で最後のハグ(抱擁)をした。私は、初めての涙をぬぐえないまま少年Gに言った。
「あなたのことを大切に思う人がいるってこと、覚えていてね。どこにいても、あなたのこを思っているわ」
「猫」は照れ笑いのような顔を見せた。その顔がすべてを語ってくれている、と思った、いや、信じたかった。
いつか立派な青年となったGと会えたら、と思う。彼を支えてきている人たちからの愛情を感じられて白黒の世界から、まばゆいばかりの彩りに溢れた喜びの世界を生きるGの笑顔に会えたら、と思う。]]>
新しい章 - 反応性愛着障害との出会い
http://naoko624.exblog.jp/32277557/
2021-05-15T06:23:00+09:00
2021-05-15T06:23:36+09:00
2021-05-15T06:23:36+09:00
naoko_nikki
里親日記
この言葉を聞いたことがない人が普通だと思う。そして幸せなことだと思う。
「反応性愛着障害(反応性愛着障害、英: Reactive Attachment Disorder ; RAD)とは、人と目を合わせず抱きつく、養育者に近づいたり逃げたり逆らったりするなど、通常では見られない不安定で複雑な行動態様を示す愛着障害の一種である。これらは不安定で不適切な養育によって生じるものとされており、安定した養育環境に置かれるとほとんどの場合大きく改善され、この点において発達障害とは明確に区別される。反応性愛着障害は児童のその後に影響を与える可能性が深刻な、比較的珍しい障害として臨床文献に記載されている。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
我が家に16歳の少年Gが来た。
「RADをもつため、養家族が崩壊状態です。出来れば法的に自立出来る18歳になるまで預かってくれる家を探している」
友達から相談を受けた時、とっさに思ったのが「ノー!」だ。RADによる暴力行為のため、過去3年間施設に預けられていたが暴力行為だけはおさまったので、家に戻された。けれど問題行動は続き、、とても手に負える状態ではない、という。施設でも養家族ですらもてあます少年をどうして預かれるだろうか、そもそも私に何が出来るのだろうか?
驚くべきことに、口から出た言葉は
「18歳までの約束は出来ないけれど毎月見直しをするという条件であれば、お預かりします」
理屈では説明のつかない何かを感じて、発した言葉だ。
RADは愛情だけでは通じない、難解かつ悲しい障害だ。今までの里子達に接してきたのとは、違う手法が必要となる。
けれど、どうしたら良いのだろうか?
麻薬中毒の両親に生まれ、育児放棄と虐待をされて育った少年G。1歳になる前に今の養親のところへ里子として預けられた。そのまま少年Gは養子となったのだが、一番大事な生後1年に愛情を知らず、虐待を受けて育ったために、通常発達すべき健全な感情が発達せず感情移入することが出来ないまま16年間を過ごしてきたのだ。
信じがたいことかもしれないが、たかが一年、されど一年、一番大事な時期を奪われてしまった彼は、生涯この大きなハンデを背負うことになってしまったのだ。いや、まだ可能性が残っているに違いない。そう信じたい。この思いがなければ、少年Gを預かる気にはなれなかったと思う。
少年Gとの新しい章、どんなエピソードが書かれていくのだろうか。]]>
一番小さな事柄が占める 心の一番大きな場所
http://naoko624.exblog.jp/32179729/
2021-03-09T02:09:00+09:00
2021-03-09T02:09:32+09:00
2021-03-09T02:09:32+09:00
naoko_nikki
里親日記
里子ガールズと出会ってからほぼ4年。
妹Jを送り出した後、昨春、
心がねじれるほどのむなしさと悲しみが襲った。
もう二度とこの心の穴はふさがらないのだろうか、とさえ思った。
けれど、悲しみにも四季があり、涙の後には笑いも訪れ、
次なる四季が始まる。
ようやく心の穴もふさがったと言える時だった。
妹Jと再会するチャンスの話が訪れたのは。
心が高鳴った。
両手ばなしで喜び、再会の日を何度も何度も夢に描いてみた。
けれど、その話はなくなってしまった。
喜び勇んですくいあげたビーチの砂が、
指の間からこぼれ落ちていくように。
残ったのは、再びぽっかり空いた心の穴だった。
こぼれ落ちた砂が、再びきまぐれな風にのってやってきた。
もう一度、再会のチャンスが訪れた。
いつ何どき、再会の連絡が入るか分からない携帯を抱きしめて
1週間が経った。
そして砂はまた指の間から、私の涙と一緒にこぼれ落ちていった。
すっかり臆病になってしまったが、三度目の正直にすがりついた。
当初の予定とは大幅に異なり、1時間だけの再会という話だった。
それを聞いた時、悲しみより先に
「会う時間の長さより、会えることが嬉しい」
と素直に言えた。
再会の予定が組まれたものの、当日も様々な事情が入り込み、
実現するのかどうかも分からない状況だった。
心がねじれる思いがよみがえってきた。
ぶつけようのない悲しみと不安に押しつぶされそうになった。
その時に、思い出された言葉がある。
”時として一番小さな事柄が
心の内の一番大きな場所を占めてしまう。”
プーさんの言葉だ。
ささいなこと、小さな喜びが心を満たすというような意味だ。
妹Jに会えるわずかな時間が、この先、心の宝となるだろう。
いや、もし会えなかったとしても、この4年間の笑いと喜びがすでに
心の宝となってくれているのだから、これ以上は望めない、と。
すくいあげて、必死に握りしめていた砂を、自ら手放すことが出来た。
自然の流れにまかせよう。
現実を受け入れられた時、妹Jがやって来た。
玄関を入るなり、ハグをくれた。
"ハグ(抱擁)はいつだって、ちょうど良いサイズさ”
プーさんの言う通りだ。
そしてハグはすべてに答えてくれた。
一緒に過ごした4年間はお互いの心の中でまだ輝いているのだ、と。
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夢への一歩
http://naoko624.exblog.jp/31156277/
2020-04-25T01:22:00+09:00
2020-04-25T01:22:07+09:00
2020-04-25T01:22:07+09:00
naoko_nikki
里親の夢
12歳の頃だったろうか、たまたま目にした記事が私の心をつかんだ。
自分と同じ年頃か、あるいは自分より幼い子供達に親がないという。
はっきり覚えていないが、ヨーロッパの中ではそうした子供達を里子、あるいは養子にする
制度を政府が積極的に斡旋しているという。
両親に恵まれ、それが当たり前だと思って育ってきた私にはショックだった。
その時思った「親になるなら、こうした子を引き取りたい」と。
その気持ちは遠い記憶の彼方に押しやられていた。
いや、そう思っていただけで、潜在意識にはしっかり刻み込まれていたのかもしれない。
夢は幾つあっても構わない。そして夢は変化していって構わない。
あれから長い年月が経ち、私の夢はガーナに小学校を設けることにたどり着いた。
ガーナへ予備調査に行く準備を始めた矢先、友人がこう尋ねた。
「子供との接触を重視するなら、もっと身近な所で活動を探せば?」
ガーナへ移住しない限り、小学校建設の中心は募金活動になり、子供との接触は殆どない、と。
確かに言われてみればそうだ。
その友人は続けて言った。
「里親になれば?」
里親!?
「あぁー、それだけは勘弁!子供もいないし、経験ゼロだもの。
それに家に四六時中、子供を預かるなんて考えられないわ」
この選択をあっさりと却下した。
ところが、里親の方は折りに触れて何度も何度も、呼びかけてきた。
「里親にならないか?」
誰かの人生を一手に引き取ることに恐怖さえ感じた。
けれど、ある時、親についてのスピーチを聞いた。
「家族を大切に出来ますか?子供を愛せますか?
だったら、あなたは親です」
えっ!?そんなにシンプルなことなの?
その揺らぎから、里親になるまでは坂道を転がるように早かった。
まるで、私の目覚めを「待ってました!」とばかりに
状況が急展開しだしたのだ。
里親になって5年目の春を迎えた。
まさかこれほど長続きするとは思っていなかった。
そして、自分の夢がこうした里子達に一生を捧げる、さらに大きな支援を
創り上げていくことになろうとは 想像だにしていなかった。
とてつもなく大きな夢、どこから手をつけて良いのか、
そんな時、友人が声をかけてくれた。
夢のお手伝いをするよ。
一人でなくても、複数が集まれば夢は現実になるよ。
声をかけて、一緒に力を合わせたら、お互いの夢を叶えあえるよ。
その言葉を受けて、今、最初の一歩を踏み出している。
それがこのブログだ。
私の夢、多くの人達の夢、どう展開していくか見守っていて欲しい。
そして、あなたも一緒に夢に向けて一歩踏み出しませんか?
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「家族」未満の場所
http://naoko624.exblog.jp/30920799/
2019-11-26T23:53:00+09:00
2019-11-26T23:53:53+09:00
2019-11-26T23:53:53+09:00
naoko_nikki
里親日記
スクーターでの転倒。目撃した家族によると、後頭部から転落、ヘルメットが割れたと。記憶を無くしたお陰で、心的トラウマは少ない。
なぜ子供用スクーターになど乗っていたか?それに答えるには事故が起きた2ヶ月前にさかのぼるべきだが、長編小説ではないのだから、長く複雑な経緯は省略、事故1週間前にさかのぼることになる。
その日、里子の姉妹二人はそれぞれ高校と中学へ行った。けれど姉だけは戻って来なかった。我が家に警察が来て、事態が家出と判定された。
里子として母親の元から取り上げられて以来、どんなことも姉と妹、二人で乗り切ってきた。母代わりでもあった姉が、まさか妹を置いていくとは誰も予想していなかった。それだけに妹の嘆きの深さとショックの大きさは想像出来なかった。
悲しく重苦しい日々が続いた。妹は涙を見せたことがない。この時でも見せなかった。日中は陽気に振舞っていたが、夜になるとやはり心細いのだろう。一人で寝たことがない、眠れない、といって私に、同じ部屋で寝て欲しいと頼んだ。毎晩ストーリーを聞かせ、マッサージをしてあげるとようやく眠りへと落ちていった。
そうして1週間が経った。その日、新しい自転車をもらって大喜びの妹は、試乗に出た。私も誘ったが、他に用事もあるし、と断った。何か悪い虫の知らせがあるから、とは言わず。けれど妹が執拗にせがんだ。妹を喜ばせようと、嫌な予感を気のせいだと払いのけて外へ出た。妹は新しい自転車に、私は彼女のスクーターに乗って一緒に下り道を走らせていった。
ICUにお見舞いに来てくれた妹はお気に入りのブランケットを持ってきた。家に帰るのを渋って、ICUに泊まりたいと言った。初めての一人寝が怖かったのかもしれない。帰る前に、持って来た自分のお気に入りのブランケットを私の布団の上にかけてくれた。全身冷え切った身体と心を包んでくれた温もりが嬉しかった。
脳内出血が止まり、危機的状態を超えられたので自宅療養へと移った。妹は本を読んでくれたり、食事を運んでくれたりと優しく世話をしてくれた。数日経ってようやくテーブルに座れるだけの元気が出て、一緒に食事をした時のことだった。妹の目に大粒の涙がこみ上げてきた。初めて見る涙だった。麻薬のためホームレスになっている母のこと、音沙汰ない姉のこと、そして寝たきりの私を見て不安と孤独感が募っていたのかもしれない。大粒の涙をこぼすまいとし、顔を横にそむけて音もなく泣いた。胸が痛んだ。ただ優しくハグをすることしか出来なかった、心のブランケットになってくれれば、と願いながら。
「泣いていいのよ。辛いよね。気持ちを出してしまった方が楽になることもあるのよ」
座ったまま身動きせず、妹はしばし声を出さずに泣いた。
「家族」と呼ぶには胸が痛むけれど涙を見せられる場所と思ってくれたことが嬉しい。
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「家族」未満の場所
http://naoko624.exblog.jp/30920798/
2019-11-26T23:53:00+09:00
2019-11-26T23:53:49+09:00
2019-11-26T23:53:49+09:00
naoko_nikki
里親日記
スクーターでの転倒。目撃した家族によると、後頭部から転落、ヘルメットが割れたと。記憶を無くしたお陰で、心的トラウマは少ない。
なぜ子供用スクーターになど乗っていたか?それに答えるには事故が起きた2ヶ月前にさかのぼるべきだが、長編小説ではないのだから、長く複雑な経緯は省略、事故1週間前にさかのぼることになる。
その日、里子の姉妹二人はそれぞれ高校と中学へ行った。けれど姉だけは戻って来なかった。我が家に警察が来て、事態が家出と判定された。
里子として母親の元から取り上げられて以来、どんなことも姉と妹、二人で乗り切ってきた。母代わりでもあった姉が、まさか妹を置いていくとは誰も予想していなかった。それだけに妹の嘆きの深さとショックの大きさは想像出来なかった。
悲しく重苦しい日々が続いた。妹は涙を見せたことがない。この時でも見せなかった。日中は陽気に振舞っていたが、夜になるとやはり心細いのだろう。一人で寝たことがない、眠れない、といって私に、同じ部屋で寝て欲しいと頼んだ。毎晩ストーリーを聞かせ、マッサージをしてあげるとようやく眠りへと落ちていった。
そうして1週間が経った。その日、新しい自転車をもらって大喜びの妹は、試乗に出た。私も誘ったが、他に用事もあるし、と断った。何か悪い虫の知らせがあるから、とは言わず。けれど妹が執拗にせがんだ。妹を喜ばせようと、嫌な予感を気のせいだと払いのけて外へ出た。妹は新しい自転車に、私は彼女のスクーターに乗って一緒に下り道を走らせていった。
ICUにお見舞いに来てくれた妹はお気に入りのブランケットを持ってきた。家に帰るのを渋って、ICUに泊まりたいと言った。初めての一人寝が怖かったのかもしれない。帰る前に、持って来た自分のお気に入りのブランケットを私の布団の上にかけてくれた。全身冷え切った身体と心を包んでくれた温もりが嬉しかった。
脳内出血が止まり、危機的状態を超えられたので自宅療養へと移った。妹は本を読んでくれたり、食事を運んでくれたりと優しく世話をしてくれた。数日経ってようやくテーブルに座れるだけの元気が出て、一緒に食事をした時のことだった。妹の目に大粒の涙がこみ上げてきた。初めて見る涙だった。麻薬のためホームレスになっている母のこと、音沙汰ない姉のこと、そして寝たきりの私を見て不安と孤独感が募っていたのかもしれない。大粒の涙をこぼすまいとし、顔を横にそむけて音もなく泣いた。胸が痛んだ。ただ優しくハグをすることしか出来なかった、心のブランケットになってくれれば、と願いながら。
「泣いていいのよ。辛いよね。気持ちを出してしまった方が楽になることもあるのよ」
座ったまま身動きせず、妹はしばし声を出さずに泣いた。
「家族」と呼ぶには胸が痛むけれど涙を見せられる場所と思ってくれたことが嬉しい。
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奇跡の再会
http://naoko624.exblog.jp/30841293/
2019-10-23T13:52:00+09:00
2019-10-23T13:52:35+09:00
2019-10-23T13:52:35+09:00
naoko_nikki
里親日記
里子姉妹が予期せぬ形で我が家に来た。(https://ameblo.jp/poquita/entry-12400032232.html ) 新たな里親の所へ行った後は、なかなかその里親が取り次いでくれなかったが、あきらめずに細々と連絡は取っていた。
なので残念ながら驚きはしなかった、二人が相当な苦難を通ってきたと聞いても。けれど悲痛だった、たかが13ヶ月、されど13ヶ月、大きな壁が不気味に私達の間を隔てているのを感じた。それでも 行く場所をなくした二人を迎え入れられずにはいられなかった。
知らない13ヶ月については詳しく知らされなかったが、ほんの最近の状況を聞いただけで普通だったらためらわずに断るようなケースだった。
先に一年半築き上げてきた関係がなければ、引き受けることはなかった。感情に任せすぎかもしれない、愛情を信じすぎかもしれない。けれど、断ることで道をはじめから阻むより、受け入れてとことん向かい合い、やれるだけのことをやってみたい、と思った。
訳あって離れ離れになっていたガールズ、同じ所に住むことはもうないのかもしれない、とまで思っていた二人が、我が家で思わぬ再会を果たした。
その時のことを二人のソーシャルワーカーが後に語ってくれた。各々の状況から、二人には事情を話すことも、どこへ移るのかも、勿論再会についても知らせることなく、一人ずつ我が家に来る手はずになっていた。
妹を引き取り、我が家へ連れて来る途中だったソーシャルワーカーが、彼女にどこへ移る(住む)のが希望か、と問いかけたところ、私の所へ戻りたい、けれど、それが叶わぬのなら姉の所へ行きたい、と答えたそうだ。
その答えを言い終わらない内に、妹が見慣れた景色が見えて来たことに気付いた。
「知ってる、知ってる!ここ知ってるぅーーー!!」
彼女の歓喜の悲鳴を聞いたソーシャルワーカーは驚いたそうだ。いつもおどおどしていた妹がこれほどはしゃいだ様子も、喜んだ声も聞いたことがないと。
我が家に着くと、先に移ってきた姉と私が待ち受けていた。言葉はなく、ただがっしりと抱き合った。もう二度と離れない、と誓うかのように。
奇跡の再会には奇遇とも言うべき余談がある。このソーシャルワーカーは、ガールズが我が家を出た後に担当となった人で私自身と会うのもこの時が初めてだった。その彼女がこの再会にこぎつけた裏話を教えてくれた。
姉妹別れ別れになった後、それぞれに居場所をなくし、新たな里親を探さねばという窮地に陥ったソーシャルワーカーに、彼女の上司が「以前の里親(私)へ連絡してみては」と提案したそうだ。
私のことを知らない彼女は、出戻る、という通常にはない選択肢に驚きと躊躇があったそうだ。半信半疑で私に電話したところ、私から即快諾を取り付けて、また驚いたそうだ。ガールズとの一年半を知らなかったのだから不思議ではない。その時、私は彼女の上司がそんな提案をしていたことも、上司が誰かも知らなかった。
その上司たる人とは、ガールズの前に1年半近くいた、最初の里子、クリスの一番最初のソーシャルワーカー(ソーシャルワーカーが変わることは頻繁にある。ガールズの場合、1年半の間に10人近く変わった)だったのだ。(https://ameblo.jp/poquita/entry-12130704124.html)
クリスの最初のソーシャルワーカーは、その仕事ぶりと子供達への熱意を認められて昇進し、残念ながらクリスのケースから外れることになったのだ。けれど、その後もクリスのことを心配してくれて、裏で動いていてくれた人だ。その人が、今度はガールズのソーシャルワーカーの上司として関わってきてくれるとは、これもまた奇跡のような再会だった。
その彼女が私を信じて、この再会を提案をしてくれたのだ。
その話を聞いた後、直ぐにこの上司へ連絡をした。奇しくも、招待されてクリスのお誕生日会に行った直後にガールズが再会を果たしていた。クリスもまた奇跡のような経緯を通って、今の家庭に養子となったばかりだった。上司もクリスの嬉しい知らせを一緒に喜んでくれた。
6歳で里子として取り上げられたクリスのことを始めから見守っていたのがこの人だ。14歳になったクリス、これまで苦労した分、これからは幸せになって欲しい。
クリスの章が無事に閉じた今、ガールズの第二章が始まった。以前に増して難問、難関を抱えた章がどうなっていくか、請うご期待としておこう。]]>
9日間の恋愛
http://naoko624.exblog.jp/30699521/
2019-07-18T14:39:00+09:00
2019-07-18T14:39:23+09:00
2019-07-18T14:39:23+09:00
naoko_nikki
里親日記
心がよじれるほど泣いたこともある。真剣勝負の中での笑いと涙ほど輝きを放つものはない。そしてこれらは何時までも心の中で輝き、和ませてくれる最高の思い出になっていくのだと思う。
(写真:人形劇の上演を楽しむ里子)
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新しい家族
http://naoko624.exblog.jp/30596786/
2019-05-15T23:56:00+09:00
2019-05-15T23:56:23+09:00
2019-05-15T23:56:23+09:00
naoko_nikki
里親日記
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ガールズの里帰り
http://naoko624.exblog.jp/30544299/
2019-04-16T02:32:00+09:00
2019-04-16T02:32:50+09:00
2019-04-16T02:32:50+09:00
naoko_nikki
未分類
昨年8月に涙のお別れをし、新たな里親の所へ引き取られていった姉妹が
2週間前に「お泊りがしたい」と連絡してきてくれた。
お別れをして以来、連絡が途切れたこともあり、心に大きな穴が出来て
もう二度と以前の自分には戻れない、とまで思っていた。
ところがガールズの方からどうにか連絡手段を見つけ出して
コンタクトしてきてくれたのだ。
先ほどまで泣いていたカラスの母は、俄然元気を取り戻し、
お泊りを実現すべくソーシャルワーカーに連絡をし、ようやく実現出来たのだ。
8ヶ月少しだが、新環境の変化にもまれてきた二人にとっては長く感じられたのだろう。
「わぁー、あれもこれも以前と一緒!」
と歓喜をもらしたが、どことなくためらいが見えた。
「自分達の部屋に行って荷物をおいてきたら?」
私のGOサインに勢いづいて二人は二階へ駆け上がっていった。
しばらくすると驚きと笑い声が混じったような悲鳴が聞こえた。
驚いて悲鳴のするバスルームへと走った。そこは二人が専用に使っていたバスルームだ。
すると、二人が大きな鏡の前に立って笑っていた。
「私、これだけ背が伸びてるー!」
妹が両手で頭一つ分ほどのサイズを示した。
毎日見慣れていた鏡の中で、9歳で我が家に来た妹は、鏡の中のごく下の方にしか顔が見えなかったのに、今では上半身の殆どが見えると言って大喜びしていた。
姉も同じく、成長のほどを手で示してくれた。
ソーシャルワーカーに連れられて突然やってきた姉妹は2年前、9歳と11歳。
週末二日間だけ緊急で預かることになっていたのが驚いたことに
1年半も生活することになり、多くの涙と笑いを共有した。
それだけにこうして里帰りを希望してくれることは夢のようであり
想像を超える喜びだった。
二人が使っていた部屋は今ではすっかり片付いて空っぽで、
次の里子を迎えられるようになっている。
そのことだけがガールズにとって少し寂しいようだったが、
それでも自分達のベッドに横になって「気持ちいぃー!」と言ってくれる二人を見て微笑まずにいられなかった。
夕食の時も以前、二人が気に入って「自分たちのもの」と決めていたお皿とカップを出してきた。そんなごくごく日常が戻ってきてくれたことが嬉しかった。
他愛ないお喋りで笑い転げながら、言いようのない喜びと感激で胸が一杯になった。
ただただ「ありがとう!」という思いで一杯だった。
夜になって姉は翌朝からの楽しいイベントに備えて早々にベッドに入ってしまったが
妹はどうやら興奮して眠れないようだ。
「ね、いつもみたいにマッサージしてくれる?」
昨年、新しいところへ移らなければならないという話が出始めた頃から、妹はストレスから引き起こされる頭痛、腹痛、不眠といった症状を訴え始めるようになった。
薬では解決されないと分かっていたので、ある日マッサージをすると効くかも、と提案してみた。
妹は人に触られるのを嫌っていたので、どうかなと思ったが、驚いたことに直ぐ承諾した。
優しく頭部のマッサージから始めていくと、横になりたいといって全身のマッサージをさせてくれた。マッサージを受けながら寝入るのが好きになり、それ以来、毎晩寝る前にベッドの中でお話を語り聞かせて、それからマッサージをしてあげた。
小さな身体にどれほどの悩みと心配を抱えているのだろう、と思うだけで目が潤んでしまう。私自身が辛い思いをしていた時は「こんな小さな子も頑張っているのだから、
私が頑張れないはずはない」と励まされたものだ。
里帰りの夜も、あっという間に眠りに落ちていってくれるとその寝顔を見守る幸せを心に刻んで部屋を出た。
以前と同じ、この楽しい時間がいつまでも続けばいいのに、と思ってしまう。
けれど大切なのは時間の長さではなく、二人の気持ち、また来たい、また一緒に喜びを分かち合いたい、と思ってくれること、そのことにあるのだと思う。
そう思うと送り返す時の寂しさより、その瞬間の輝きが心を温かく満たしてくれた。
「今度はあれをしようね」「これも食べたいね」
先の話がいつのことになるのか分からない。
でも、先の話をしたくなる思いを大切にしていたいと思う。
以前、亡き祖父が言っていたのを思い出す。
「腹八分がいいんです。もう少し食べたい、もう少ししたいな、ってところでとめておくと、
次が楽しみになるんです」
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17ヶ月の週末
http://naoko624.exblog.jp/30009105/
2018-08-24T12:34:00+09:00
2018-08-24T12:34:43+09:00
2018-08-24T12:34:43+09:00
naoko_nikki
里親日記
ぼくはなんて幸せなんだろう。”
2年半前、最初の里子が我が家を巣立っていく時に
くまのプーさんが慰めてくれた言葉だ。
その言葉をもう何百回と自分に言い聞かせてきているだろう。
「週末の二日間だけ預かって欲しい」
と頼みこまれた里子の姉妹は、17ヶ月後に移ることになった。
プーさんの言葉にしがみつきながら、最初の子を失った寂しさと
葛藤している時で、次の子供の心の準備は出来ていなかった。
まして二人なんて。
それでも「二日だけ」という言葉と、状況に心を痛めたことで
受け入れたのだ。
そのガールズと多くの葛藤を超え、いつしかファミリーとなっていった。
“ピグレット:“love(愛)って、どうやって書くんだっけ?”
プー:“書くものじゃないよ。愛は感じればいいんだ”
猛暑のある日、4リットル入りのミルクと
ガールズの大好物、スイカを買いに行った。
夕方になっても40度近い暑さに客足も少なかった。
スーパーを出ると暑い日差しが照りつけたけれど
両手がふさがっていてさえぎることもままならなかった。
その時、心に浮かんだこと。
誰かを喜ばせたくて、何かを喜んで出来るって幸せだな。
時間と追いかけっこの毎日も、ガールズの笑いによって
癒され、元気と学びをもらっていた。
“きみと過ごす日は、どんな日でもぼくの大好きな日。
だから、今日はぼくの新たなお気に入りの日だ。”
そんなガールズが突然、そして不本意ながら移ることになった。
妹の方は最後まで移るのを嫌がったけれど、御上の決断には逆らえなかった。
荷造りをしながらガールズに告げた言葉は、
奇しくもプーさんの言葉に通じるものだった。
“いつも覚えておかなくてはならないことがある。
きみは自分で思っている以上に勇敢だし、見た目より強いし、
意外と頭がいいってことを。”
最初の3日間、毎晩夢の中でガールズに起こされた。
“長く離れ離れにならなくてもいいように、夢をみるんだと思う。
もし、ぼくたちが互いの夢の中に出てくれば、いつでも一緒にいられるから。“
移るのを拒み続けた妹の状況が夢に出てきたようだった。
新しい環境に馴染めないでいる、との報告を受けたものの
ガールズとの連絡手段は絶たれた状態だ。
今はすべてを注ぎきった満足感と空虚感で一杯だが、
ガールズが新環境で頑張っているのだから
こちらも泣いてばかりはいられない。
今を一所懸命生きていれば、すべての瞬間は思い出となって
心を温め続けてくれるのだろう。
“一緒にいられない日がきても、ぼくのことを忘れないで。
ぼくはずっときみの心の中にいるから。“]]>
大きなバッグ
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2018-04-03T08:18:00+09:00
2018-04-01T08:19:20+09:00
2018-04-01T08:19:20+09:00
naoko_nikki
里親日記
嬉しい日の夕食
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2018-04-01T08:17:00+09:00
2018-04-01T08:17:41+09:00
2018-04-01T08:17:41+09:00
naoko_nikki
里親日記
喜びを分かち合いたいからワイングラスを使おう。
里子の姉妹を週末だけ預かって欲しいと言われたのは
一年前の3月下旬だった。
その姉妹達と多くの試練と葛藤を共にくぐりぬけてきて
12ヶ月目を迎える。
今までで最長の週末だ。
10歳になる妹は大のママっ子で、ママを崇拝しているとも言えるほど。
私が何を料理しても、どのレストランに行っても
「ママは○○する、ママの方がずっと美味しい」といった具合だ。
自称「料理が逃げ出すくらい」の腕前しかないので
別にそのくらいのことでは痛くもかゆくもないが
その言葉を聞く度にホームシックが痛ましいほど伝わってきて
いつになれば母親の状況が改善され自宅に戻れるのか分からず
限りなく延長されていく週末を悲しく見守るしかない自分に
悲しくなる。
13歳になる姉は早々に状況を理解し、私に心を開いてくれていた。
「ママの味に似てるよ!」
と初めて言ってくれた時にそのことを確信出来た。
その時でさえ妹は激しく抗議した。
「何言ってるの?覚えてないの?全然違うよ!」
妹にとってはママの思い出が薄れる、あるいはとって変わられるようで
恐怖にさえ思えたのかもしれない。
その妹が昨日の夕方、突然別の部屋から叫んだ。
「ママの匂いがする!ママのキッチンと同じ匂いだ!」
キッチンにいた私は驚きと感激に泣いてしまった。
妹が来る前に急いで涙をぬぐって知らん顔を装ってみた。
妹はキッチンに飛んで来ると大喜びで同じことを連呼した。
「ママと同じ匂い」
本当のママと同じように私を扱ってもママの思い出は変わらないこと、
本当のママも私を受け入れてくれていることを知って安堵したこと、
そんな色々な思いが彼女にこの言葉を吐かせてくれたのだろう。
そんな嬉しい気分でデビューのタイミングを待っていた
テーブルクロスを出すことにした。
妹は大喜びでテーブルセッディングを始めた。
本当は妹の一言が嬉しくってお祝いしたいからのワイングラスだが
そこはじっと我慢して言わず、あえて姉妹共にこの2,3週間
それぞれ大きな試練にぶつかって頑張って来たのでお祝いしたい、と言ってジュース用にワイングラスを出した。
妹は目を輝かせてくれた。
オーブンに入っている料理を見守っていた。
いよいよテーブルに料理を出し、ワイングラスにジュースを入れて
乾杯となった。
すると姉が待った、をかけた。
「写真を撮っておきたいわ」
彼女なりの褒め言葉だ。
妹が続けて言った。
「今日は最高の日だわ!」
テーブルクロスのバラが潤んで見えた。
「このテーブルクロスでこれからも元気に楽しい食事をしていこうね♪」
11ヶ月よく頑張ってきたね。
早くママのところに帰れるといいね。
それまではここで一緒に笑って頑張っていこうね。
そんな最高の日をありがとう。乾杯!
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カップケーキコンテストと里帰り
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2017-12-16T09:48:00+09:00
2017-12-16T09:52:29+09:00
2017-12-16T09:48:47+09:00
naoko_nikki
里親日記
「いつでも使えるように、今もここにあるのよ」 私の言葉にクリスの顔が輝くのが分かった。彼は自慢気にお皿の話を紹介し、自分が焼いたカップケーキにも使った。 「いつか取りに来るから」とクリスが意図的に残していった野球道具もある。それらの道具を嬉しそうに取り出してきて、一同に披露してみせた。「持って帰る?」と聞いたら、少し考えていたが、うん、と言った。 野球道具がなくとも何時でも帰れる、受け入れてもらえる場所が確認できたからだろう。彼にとって、帰れる「我が家」は生まれて初めての体験だったのだ。小さくなってしまった野球ギアが、クリスの心身の成長を思わせた。野球のチームにはもう入らない、と言っていたが野球を思い出として封印し、新たな道で頑張る覚悟があるのかもしれない。 ちなみにコンテストの結果は引き分け。創作をこらした力作らにとても優越はつけがたかったからだ。賞品としてそれぞれの名前を刺繍してあるエプロンを贈呈した。 大盛況に終わったカップケーキコンテストに味をしめた二人は今度は料理コンテストを提案している。そしてこの料理コンテストを続けていきたいと。 「次」の企画があること、それが遠い先ではなく、手に届くことその日が来るのを一緒に待つ楽しみ、 そんな楽しみを続けていく喜び、そんなことを味わったと思う。]]>
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